APRC 2003 Subaru Rally of Canberra


写真と文 高桑 春雄
  

久しぶりにNZ、Ausの仲間と再会。
 
ポッサム重体の連絡で始まった。
4月20日キャンベラの空港に着き、オーストラリアスタッフのダニーマーフィーと久しぶりの再会、しかし、彼の口から「ポッサムが事故に遭い意識不明の重体」との報告を受ける。
昨年のアルペンラリー以来このキャンベラで久しぶりに再会できると思っていたのに残念である。

  私の海外ラリーは久しぶりである。昨年ラリーオーストラリアをキャンセルした為、昨年7月のラリーロトルア依頼の海外参戦になる。また今年はスバルモータースポーツグループ(SMSG)からのエントリーとなる。
4月21日キャンベラのホテルで準備開始、明日からのレッキに備える。

  4月22日から2日間のレッキを開始する、キャンベラ市街地から15km程度郊外のフォーレストに行くと今年1月からの山火事(現地ではブッシュファイヤー)で見事に山は黒こげ状態であった。東京都23区と同等の面積が焼失したと聞いた。キャンプ場や、レトロなホテル、橋までが焼け落ちていた。火事の原因はなんと「15歳の少年が火をつけたことから始まった」と聞きまたビックリである。
ラリーコースは火事の影響でだいぶコース変更を余儀なくされたようだが、焼けた現場をコースとして使用するのだから日本では考えられないことだ。
昨年と同じ部分も沢山あるのだが、木が無い為コースの雰囲気が全く変わってしまい、ペースノートの修正も膨大な量となってしまった。

  4月24日に行われた車検、シェイクダウンを無事にこなし夕刻からのセレモニースタートになる。
キャンベラの中心地にラリーカーが集まる。単なるスタートセレモニーだけなのだが大勢の人が集まりドライバーのサイン会に行列ができている。私にまでサインを求めて来る人が大勢いる。
 スタート後パルクフェルメに車両を入れて、明日からのラリースタートの為に早めに休もうと思いホテルに戻るが、私の現地スタッフが全員揃っていて深夜まで話し込んでしまった。
私の為に、メルボルンからコ・ドライバーを含め3名、西オーストラリアから1名、ニュージーから1名のスタッフが仕事を休んで手伝ってくれる。彼らがいるから私のAPRC挑戦が成り立つのである。
ラリーで走ることが目的だが、彼らに合い、一緒にラリーを楽しむ事が一番の目的のような気がする。

ブレーキなしで42Km・・・怖かった〜ッ。
 4月24日ラリースタート2本のSSをこなしてサービスを挟み同じSSをリピートする。
2SSをスタートして1kmほどのところでブレーキの感触が全く無くなってしまった。ブレーキ無しで約22kmほどSSを走り、トランスポートを20km走りやっとサービスへ戻るがTCで止まれないので大変である。
またサービスパーク内は多数の人がいるので大変危険であるのでサービスパーク・マネージャーにTCからサービス場所までオフィシャルを配置してもらい完全誘導状態でサービスイン、なかなか気分の良いものである。
ブレーキの不具合はブレーキ・ホースに亀裂が入りオイルが全て抜けてしまった為であった。

  急にブレーキが無くなるのはやはり相当の恐怖がある。言い訳になるが午後のSS走行中「ここでまたブレーキが利かなくなったら。」などと考えてしまいタイムが伸びない原因の1つになっていた。
夜のスーパー・スペシャルでは完全なウエット路面で観客前で大スピンを披露してしまった。
1Leg最後の45分サービスではストラット交換、フロントハブ交換などサービス陣は気合の入ったメニューをこなしてくれた。

  しかし、お願いしておいたECUの交換はできなくなってしまった。
元々、ポッサムの所のECUを使用していたのだが、今年バージョンアップしたものをチョイスしたがどうもマッチングが取れず1Legは本当のノーマルのECUで走った。
 今日の45分サービスでポッサムのECUメカが来て調整してくれる予定だったのだが、ポッサム本人があんな状態である為にキャンベラに来ることが出来なくなってしまったようだ。今回のラリーはノーマルのECUで走るしかない。
パワーが無いのは安全で??良いのだが、178kmで速度リミッターが利くのだけが、どうも気に入らないが仕方がないとあきらめる。

  2Legはキャンベラには珍しく本当のウエット路面となってしまった。車が遅いのだけが問題だが無事に走りきることができた。しかし、最終のスーパー・スペシャルでまたスピンしてしまい、どうも観客サービスをする癖がついてしまったようだ。
 3Legはサービス会場とSSが隣接した観客にとっては素晴らしいロケーションでのステージである。
カンガルーに横切られながらも無事に完走し、久しぶりのゴールランプ上がることが出来た。

 

 終わってみれば総合17位 APRCノミネート総合8位で1点、APRCグループN5位で4点合計5点のFIAポイントをゲットした。おまけにスバルマニュファクチャーポイント1点を挙げることができた。
もし、私が参加していなかったらスバルはマニュファクチャーのランキングの中にスバルの名前すらなかった状況であった。スバルは総合優勝のクロッカーと3位のヘリッジを走らせているのだがAPRCノミネートをしていない為にスバルのポイントには加算されていないのである。
何かスバルに貢献したような??「何かスポンサーしてくれないかなー・・・?」


ポッサムが早く元気になるよう願いを込めたメッセージがクロッカーとヘリッジの車に貼られていました。

新婚の奥さんを嬉しそうに紹介しているポッサムを思い出す。

 その晩に行われた表彰式では、「ポッサム早く良くなってください。」の各エントラント、チームマネージャのメッセージビデオで始まった。オーストラリア、ニュージーランドにおいてスバルブランドを向上させた立役者ポッサムの役割は本当に大きかったのだと痛感させられるパーティーであった。

  4月28日シドニーの空港でテレビを見ていたら「ポッサムの生命維持装置のスイッチをOFFした。」とのニュースを見た。英語が苦手な私は「容態が良くなり機械の補助を受けずにも回復しているのだろうと」信じて東京行きの飛行機に乗り込んだ。
帰国後「ポッサムの容態が悪く、生命維持装置の電源を家族がOFFするように望んだ。」事を知りなんともやりきれない・・・・・、29日深夜に彼は亡くなった。
 日本人には一番身近なラリードライバーであったと思う。特に私は彼が若い頃からスバルモータースポーツグループのメンバーであり何度も同じラリーに参加していた。
特に思い出されるのは1993年のマレーシアラリーの時、彼が新婚の奥さんを我々の前に連れてきて嬉しそうに紹介してくれたときの彼の笑顔をが忘れられない。
ポッサムの冥福を祈ると供に、彼の家族の幸福、ポッサムボーンモータスポーツの発展、スバルオーストラリアのさらなる繁栄を願ってやまない。

キャンベララリーのリザルトはhttp://www.roc.com.au/results.asp
ポッサムボーンモータースポーツのHPはhttp://www.possumbourne.co.nz/index.html