病名は癌
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なぜ、今ラリーなのか
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パース日記
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体調不良で病院に

  河野知二1961年5月30日に山口県小野田市に生まれ、後に移転し下関で育ち現在群馬県館林市在住の44歳。
山口大学工学部を卒業後、1987年富士重工業に入社した。

 河野は大学時代に弟に誘われるままラリーの道に入った。仲間の事故を目の当たりにした後、車のあるべき形を自分なりに描き、これを実現するには自動車会社に入って内部から頑張らなくてはと車作りに使命を感じて富士重工に入社。

当時国内でも盛んだったラリー活動を積極的に行っていた富士重工のモータースポーツを担当していたスタッフに、入社後モータースポーツを担当する部署に取ってくださいと、直接手紙を出したという逸話の持ち主。

以後18年間車両研究実験部と商品企画本部のモータースポーツ専門部署に籍を置き勤務。
サファリラリー・ラリー、ニュージーランド、オーストラリアなどを舞台に車両開発業務とともにチームの運営スタッフとして活躍。

  一方では国内のラリーなどにも参戦。海外ではマレーシア・ラリーやニュージーランド・ラリー等に参戦。ドライバーとしても非凡なところを見せていた。
マレーシア・ラリーでナビゲータを勤めた井上 恵と1995年に結婚。群馬県館林市に在住し、長女4歳。長男3歳。次女1歳と恵の母との6人家族で暮している。

 胃の不快感から群馬がんセンターを予約した。
癌という確証はなかったが、父親を大腸がんで亡くしており、もしやという程度、違っていれば安心という軽い気持ちの診断申し込みだった。
「もしや、という感があたってしまった。」結果は、スキルス(進行性)癌という診断だった。